あえて伏せるが(営業妨害になるからね)、ある山小屋で幽霊に逢ったことがある。もう30年以上前のことだ。
その山小屋で夏山登山の山開きがあるという。毎年、神主さんが呼ばれてお祓いをする。神主さんの一人が知り合いだったので、私も誘われた。
祠の前でお祓いが済むと宴会だ。普段の料金で、酒とご馳走が楽しめる。鯉の甘露煮が思い出に残っている。丸ごと一尾を見たのは初めてだったので記憶に残っている。今でも甘ったるさが口の中によみがえる。
宴会が済むと、神主さん一行に私も合流し個室に案内された。他の宿泊客は大部屋で雑魚寝だ。ちょっとした特別待遇なわけだ。
赤岳登頂も果たし疲れていたので、いい感じで眠っていたと思うが、はっと眼を覚ました。個室の出入り口に何かいる。何かがいて、こっちをうかがっているのだ。
と、感じた瞬後、その何かが私の胸に乗っていた。
ギャーっと叫んで私は跳ね起きた。叫んだのだから、個室にいた10人前後の神主さん御一行も「なんだなんだ」と起きるはずだ。
が、すーすーと寝息が聞こえるだけだった。
夢だったのだ。
翌日、神主さん御一行と下山した。途中、休憩の時、知り合いの神主が私に話しかけた。
「お前、昨晩、何かあっただろう」。
私は事情を話し、見ていたのなら、助けて下さいよ、と言った。
彼は「霊は弱い者に現れるからな」と答えた。なんだか楽しそうだった。
そりゃそうだろう。神主ばかりの個室で誰が一番弱いんだ?
神主が見ていたのなら、あれはやっぱり霊だったのだ。私の人生で最初で最後に逢った霊(今のところ)だった。
それから約20年後、私は再度その山小屋に泊まった。泊まるはずではなかったのだが、えらく疲れてしまい、そこに泊まることを余儀なくされた。
記帳する時、ハッと思い出した。ここで霊に逢ったことを。
その日の宿泊客は私一人と、小屋のオーナーがツアーを組んで連れた来た5~6人だった。
夕飯の後テレビを観ていると天気予報になった。オーナーが来て言った。
「今の登山客は翌日の天気を気にしないんですよ」。(その今というのは10年前のこと。)
私とオーナーの二人で予報を観た。明日は晴れだ。
私は20年前の彼を知っていた。当時彼は大学生で山開きの手伝いに来ていたのだ。そのことを話すと、今も若いでしょ。と自慢気に言った。
山にいると変人になるのだ。
例の、霊のことを話したくて私はウズウズしたが、けっきょく話さなかった。私は変人ではなかったのだろう。
その夜、私はぐっすりと寝た。
さて話は変わるが、私が今住んでいるのは、築50年ほどの公営団地だ。建ってからかなり経つが、公(おおやけ)が作っただけあって、しっかりしている。
ここに移り住む前に、私は観念していたことがある。ここには霊が確実にいることを。
だってそうだろう。こんなに安い賃料だ。一度入ったら、死ぬまで出て行かない。私だってそうだ。少なくとも2~3人はここで死んでいるはずだ。
病死、自殺。死に方は色々でもこの世に未練があれば、ここに残っているはずだ。
だから私は明かりを消して寝る夜はない。
眼は閉じるが、耳はふせげない。そのせいか不自然な音を聴くことがある。