東京2020に観光客の姿はない。しかし立ち直るチャンスはある。

7月9日10日の浅草ほおずき市が
新型コロナのせいで中止になった。
3年前のその日、私は浅草寺でアルバイトをしていました。東京観光の目的を、外国人にアンケート調査していたんです。

その仕事の発注先は東京都観光局。元請けはD通、かどうかは知りません。私は末端のフリーターだったもので。

暑い日でしたね。境内を埋め尽くす、ほとんどが外国からの観光客。中国人の団体客を載せた観光バスが、駐車場に何台もとまっていました。欧米やオセアニアからも沢山来ていました。

私は、彼らに英語で声をかけ、アンケートへの協力を求めました。その年の4月から『ラジオ英会話』を聞いていたので、雑談を交わし、多少なりとも通じあえた時の喜びを、今でも楽しく思い出します。
再勉強したきっかけは、ずばり東京オリンピック2020。観戦に訪日する外国人と会話をしてみたかったからです。だから、そのアンケート調査は趣味と実益を兼ねた絶好のものでした。

アンケートの内容も、その時から3年後のオリンピックに焦点を当て、いかに効率よくお金を使わせるか、それを探るのが目的だったと記憶しています。

しかしムダになりましたね。少なくとも今年に限って言えばですが。
では来年は役に立つのかどうか。それも危うくなってきました、(でも英語の勉強やめませんよ、だって楽しいんだもん、大西泰斗先生の『ラジオ英会話』)。

あの頃は中国人観光客の悪口で
盛り上がっていた
昼の休憩時、スナックみたいなところでランチを取りました。夜はアルコールを出すのでしょう。オーナーらしき年配の女性が常連らしき年配の女性方とお喋りに熱中していました。

中国人観光客の悪口でした。マナーが悪い、声がでかいなど、ステレオタイプの中国人非難です。
もし、この私が中国人だったら、どうするのだろうと、こっちが心配するほどアケスケでした。
あの頃の観光地はどこでも、こんなふうに中国人観光客の悪口だったのではないでしょうか。
こちらからお願いしなくてもドカドカと押し寄せて来るのだから、きっと楽な商売だったのでしょう。
イケイケだったのでしょうね。バブルが崩壊する前の好景気日本のように。

中国人観光客の傍若無人さは、
かつての日本人の姿ではなかったか

そして今年2020年は過去最高を記録するほど、外国人が来訪するはずでした。観光庁がもくろんだ数字は4千万人。それが新型コロナのせいでほぼゼロになったのだから、まさに観光バブルの崩壊です。

そんなニュースを観るにつけ思い出すのが、浅草で目にした年配女性です。
あの人たちは今頃どうしているのだろう。スナックのテーブルに頬杖をつきながら閑古鳥のなく店内で、ため息をついているのではないだろうか。「中国人来て来んないかなぁ」と。

そうですね、確かに中国人のマナーは悪かったのでしょう。
しかし日本人だって高度成長期には世界中からエコノミックアニマルと呼ばれて嫌われたのです。サラリーマンは徒党を組んでアジア各地に女性を買いに行って顰蹙を買ったのです。

バブル時代の全盛期には、日本人女性がパリでブランド品を買い漁りました。口には出されなかったけれども、成金と呼ばれ馬鹿にされていたのに違いありません。あの頃のフランス人から。

団体パックで徒党を組んで、他人の国に土足で押し入ったという点では、かつての日本人も中国人も同じです。

私は、中国人を擁護するつもりはまったくありません。しかし慣れない大金を手にして、人がとる行動はどこも同じだと思えてなりません。

偉そうに言っている私にしたって同じ穴のムジナです。
バブルの頃に分不相応な大金を得て、これが自分の実力だと見当違いを犯してしまいました。
調子に乗って独立したものの、あっという間に沈没。バブルが弾けたのです。だから60歳を過ぎてもいまだに日雇いのフリーターをやっているわけです。

人間、驕り高ぶって、いいことはありません。日本の古典『平家物語』の冒頭でも言っているではありませんか。
「おごれる人は久しからず。たけき者も遂にはほろびぬ」って。平清盛の頃から人間やっていることは同じなんですね。
ね、アベちゃん。

観光なんてこんなもの。
もしかしたら、
そんな甘えと慢心がなかったか
さて、「ピンチがチャンス」と言う人がいます。人生&仕事のハウツー本を読んでいると、必ず出てくる常套句です。
「コロナの今が、チャンス」というのも、目にするようになりました。
一種の出直しですね。新型コロナによって大ダメージを受けた今だからこそ、これまでの自らを省み、新たな気持ちで再スタートを切ろうと呼びかけています。

朝日新聞2020年6月24日付オピニオン紙面が、アメリカ人の東洋文化研者アレックス・カーにインタビューをして『観光業界の「毒」を抜く機会』という記事を掲載していました。

彼が言う毒とは、私が思うに、日本の観光業界は市場原理の売り上げ主義(要するに、お金儲け優先)にある、ということのようです。
その例として、京都のお寺で人がごったがえす様子をあげ、こんな混乱状態で日本古来の文化を味わうことができるのだろうか?と疑問を投げかけ、

京都の二条城では、ふすま絵を劣化から守るため複製に差し替えたものの、あまりにのチープさに正視できない、と訴えています。

それにもかかわらず、観光客は文句も言わず後から後から押し寄せて来るので、それをいいことに提供する側は自らを省みない。こんな有り様で真の日本文化を伝えられるのか、と嘆いています。

逆に毒抜き対策をすでに行なった例として、イタリアのボルゲーゼ美術館は入館の完全予約制を導入したこと、南米の都市遺跡マチュピチュでも入場制限を開始したことを紹介しています。
採算を度外視してでもやるべきことは、やるべきだと言っているのでしょう。

私はこの文章を読んで、ある情景を思い出しました。
中学高校の美術の教科書に載っていて、誰もが知っている世界的名画が日本に来た時のこと。その絵の前で人々の黒い頭が押すな押すなの状態で鑑賞(?)している写真でした。
そういえばパンダが初めて公開された時も、上野動物園はこんな有り様ではなかったでしょうか。
絵にしろ、動物にしろ、見られる方が呆れていただろうと推察します。

日本には、みんな仲良く座を詰めて、押し合いへし合いする文化があるのだ、と言われればそんなものなのかと思えないこともありません。(納得はしませんが、そうした状況を度々目にしているので)。

しかしコロナ後のこれからは、そんことを言っていられないでしょう。
今現在、再開をスタートさせた東京の美術館は予約制の入場制限をしているようですが、この先ずっと続けていくべきです。
人の頭のせいでアチコチ欠けてる名画や動物、そんなものを観させられた今までが異常でした。

コロナ前の観光地を取り戻せれば、それでいいのか
最後にアレックス・カーの言葉を引用します。

全国の観光地がコロナ後にどのような観光の姿をめざすのか。それは、国が決めることではなく、その地に住む人たちや観光業者、行政機関が話し合ってどのような道を選ぶのか、だと思います。

コロナ前には「なかった価値」、つまり観光客の満足と喜びに向けて、さらにアプローチした価値を生み出して欲しいと言っているのです。
そんな提言もムナしく、国(安倍内閣)は『GoToトラベル』を前倒しにして、今月22日から全国的に開始すると発表しました。

市場原理の売り上げ主義をもう一度復活させるために、一刻も早く手を打ちたかったのでしょう。

東京では過去最多の感染者数を日々更新しています。



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