自分の生き方を生きられる人は幸せだ。

声優は職業でなく、生き方だ。

仕事の時間調整で利用するファストフードの店員さん(若い女性)が引っ越しをするので、今月いっぱいでやめると言いました。

彼女は声優の卵です。美しい声と笑顔で接客している人です。誰にでも優しくフレンドリーに接しています。
声優のかたわら、アルバイトで接客もやっています。この仕事も大好きだと言っていました。

そんな彼女の表情を曇らせたのが、新型コロナです。客との間にビニールの幕が引かれ、マスク着用の対応になりました。

国の自粛要請によってアニメの制作は中断され、劇場や映画館も閉ざされたのだから、アフレコの仕事も当然ストップしたでしょう。密閉された部屋で1本のマイクを数人の声優が使うからです。

仕事がなくなった人は日本中に、いや世界中にいます。悔しいけれど今もそうです。

彼女の引っ越し先は家賃も下がり物価も安いようです。「私は貧乏な声優だから」と呟きました。

大塚明夫という声優が書いた本に
声優魂 があります。
その中で彼は
声優になる、というのは職業の選択ではありません。
 生き方の選択です。」
と書いています。

世の中の多くの人はお金を得るためにサラリーマンをしています。それはどこの国の人も同じで、英語に
jobs that pay the rent
家賃を払うために仕方なくついた仕事、という言い方があります。私もそんな仕事をしています。

それに対し、声優は充分な収入が得られるか分からない、成功するかもわからない。
そんな不安定な状態を支えているのは、声優という生き方だ、と大塚明夫は言っているのです。

立川談春も落語家という生き方を生きている人だ。

新型コロナの自粛中、「どうなる、エンターテインメント」みたいな番組をやっていました。
テレビや映画制作がストップし、劇場も映画館もライブハウスも閉館を余儀なくされていた頃です。
そうなると、出演者も裏方も、制作者も劇場の持ち主もお金が入りません。そうした苦境を訴える番組だったように記憶しています。

出演者の一人に立川談春がいました。『下町ロケット』で殿村役をやっていた人です。役者ではなく落語家だったんですね。
その談春が、テレビ東京&日経新聞の番組ということもあり、他の出演者がお金のことを中心に話をしているなか、チグハグなことを言って周りを困らせていました。

つまり落語家の活動の場である寄席が閉まっても、たとえ落語で食えなくなっても、それならそうで他の仕事をしてでも、何をやってでも生き残れ、と自分の弟子たちに発破をかけている、と言うのです。

他の出演者が国の救済(お金)を訴えているのに対し、談春だけが「落語家という生き方」について話していたのです。どんな苦境にあっても根っこは落語だよと言っているように、私には聞き取れました。

しまいには談春も話すのをあきらめ、私はミスキャストだったようですね、と言いました。まったくその通りでした。
何話しているんだよ、この親父。でも真剣に聞き入ってしまいました。
もし、声優の大塚明夫がこの場にいても、同じことを言って周りを困らせたに違いありません。

私、声優になれるかなぁ。

さて声優の卵に戻ります。
彼女にはもう会えないかも知れないので、どんな名前で活動しているのかを書いてもらいました。
その時「私、声優になれるかなぁ」と漏らしたのです。

私は「なれるよ、根性あるし」と反射的に答えていました。
もちろん私は彼女のことをよく知りません。どんな演技をしているのかも見たことがありません。
だからそんなこと言えないのに、断定できたのです。

なぜなら私は、去年の夏も、おととしの夏も、もっとも暑い時期に彼女が揚げ物をしていたのを見ていたからです。
そこは過酷な持ち場だろうに、その時期になると彼女は接客ではなく揚げ物を担当していました。

もしかしたらその方が多少時給が上がるのかも知れません。しかし誰もが嫌がるツライ仕事であることは確かでしょう。

人が嫌がるツライことを引き受けられる人は価値ある人だと私は思います。尊敬できる人です。
私には、そんなことはできません。だから…

この人は尊敬できる人だ、そう思っていたから、私はその若い女性に「なれる」と断定できたのだと思います。

声優になれるのかどうか、声優として生きていけるのかどうか、不安でいっぱいでしょう。
でも誰にも未来のことなんか分かりません。

今の私に分かるのは、自分の生き方を生きられる人は幸せだ、ということです。

その声優の名は、加藤陽菜乃さんです。

追記
国は、アーティストやエンターテイナーを見殺しにしないで。
さまざまなジャンルのアーティストに対して、一刻も早い、しかも手厚い支援は絶対に必要だと思います。
昔、「飢えた子供に文学は必要か」と問いかけた文学者がいたように記憶しています。当然、飢えた子供に文学は必要ありません。しかしお腹が落ち着いたら、次に必要とするのは文学です。
それは人類の歴史をみても明らかでしょう。

今の時代、文学を芸術活動全般、エンターテインメントと言い換えたほうがいいでしょう。
国は持続可能給付金で、その他の方法をさらに作って、アーティストやエンターテイナーを救ってあげてください。見殺しにしないでください。

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