超高齢化社会の「化」に込められた意味?

どっかの偉い先生に「超高齢化社会」がどうのこうのと話した時、それは間違っている、とたしなめられたことがある。

もうすでに超高齢社会そのものだから「化」は、いらないのだと。

何年前のことだったろう。その時は、それもそうだと思い黙ってしまった。

さて、昨日の朝日新聞(2021年4月24日)に「いまや総人口の28.7%が65歳以上という超高齢化社会」という記述があった。

天下の朝日新聞が「化」をつけているのだから私の言い方は間違っていなかったのだと、ここで言いたいのではない。

すでに超高齢社会であることに間違いはないからだ。

しかし「化」を表記し続けることに意味はある。まだまだ老人の比率は増え続けますよ、というニュアンスを含めることができるからだ。今現在28.7%の老人は、この先いつまでか知らないが、増えることはあっても減ることはない。

私はラジオ講座を毎日聴いて今年で4年めになる。講師の大西泰斗が良いし、2020東京オリンピックで使う機会が増えるかもと期待して始めた。

そのかいあって、今が自分史上もっとも英語ができると思う。英検何級とか、TOEIC何点とかでなはく、掛け値なしで英語に親しみを持てるようになり、考え方に変化が起きるという恩恵まで受けている。

たとえば「超高齢化社会」の「化」は、英語なら現在完了進行形(have been~ing)に当てはまるのではないだろうか。過去から現在まで超高齢化が進んでいて、今なお動きを止めることはない。そんな老人比率の極端な増加が、この「化」という一文字で荒波のようにイメージできる。(まだまだ増えるのだぁ)。
言葉に敏感な若者なら吞み込まれてノイローゼになってしまうんだろうね。
「ぼくの年金~あたしの年金~」

私が、こんなふうに感じられるようになったのは、たった3年間でもラジオ講座を続けたおかげだ。

もし、例の「化」抜きの先生に会うことができたら「化」をつけ続けることには、こんな意義があるのではと、お尋ねしたいものだ。

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